今回は、マインドとハートの関係についてのお話です。
ドランヴァロ・メルキゼデクが創設したATIHワークショップでは、「マインドからハートへの意識の移行」ということが大きなテーマのひとつとなっています。
なぜなら、まだまだ世界はマインドのイリュージョンの中にあるからです。
あなたのスピリットがハートに帰還することで、初めてほんとうのことが見えてきます。
ほんとうは自分は誰なのか、なぜこの星にやって来て、いったいここで何をしているのか、そういったことが、感覚や感情を通してわかるようになります。
そのためには、何よりもまず意識をマインドから離して、ハートへと移動させることが必要です。
けれども、もしかするとそれは… マインドが一番怖れていることかもしれません!
OSHO (バグワン・シュリ・ラジニーシ) が、マインドとハートの関係について語っている動画があります。
そこで語られていることは、ドランヴァロの話すことと深く同調しています。
ドランヴァロは「フラワー・オブ・ライフ・ワークショップ」のビデオの冒頭で、自分に必要な教えを与えてくれたメンターたちを紹介していますが、その中にOSHOもいます。
ドランヴァロは、「バグワン・シュリ・ラジニーシは、根本的に道教の教師です。米国にやって来て、ベンツだかロールス・ロイスだかを何台も並べてみせて、『なんだ、あいつは完全な物質主義者じゃないか』と人々に言われました。彼は、自分自身を使って人々がやっていることを鏡写しに見せていたんです。道教を理解すると、彼が教えとしてやっていたことがわかります。」と言っています。
そこで、OSHOの「マインドはいつも怖れている」という講話を私なりの言葉で訳してみました。
マインドは常に、たったひとつのことを怖れている。
マインドは、あなたのハートを怖れている。
それはなぜか?
マインドは生来召使いとなるべきものなのに、どうにかこうにかしてマスターになることをやり遂げたからなのだ。
生来マスターであるハートは、そこに介入する気もなく、マインドがマスターの座に居座ることを許している。
だがマインドは知っている。
ハートがその気になれば、いつなんどきでも、自分はマスターの座から引きずり降ろされることを。
だから、ハートが何か言おうとするたびにマインドには怖れが湧き上がって来る。
マインドは、強烈に愛を怖れている。
マインドは、強烈に信頼を怖れている。
マインドは、ハートに関わるすべてのことを怖れている。
それもこれも、マスターの座に居ること自体、マインドの本質ではないからなのだ。
ハートは生来マスターである。
ハートは、自分がマスターであることを一筋の疑いもなく感じているので、わざわざ自分がマスターであると主張したりしないのだ。
それは、問題のひとつでもあるのだが。
ハートは、その気になれば、いつだってマインドを押しのけることができると、確信を持って知っている。
そして、マインドもそのことをちゃんとわかっている。
ハートは召使いがマスターのふりをしているのを許すほど、穏やかなのだ。
だが、召使いは、所詮召使いである。
ハートが何か言おうとするたびに、マインドはぐらつく。
マインドは、ハートに完全に死んでしまってほしいのだ。
マインドは、人々に完璧にハートレス、つまりハートのない状態になってほしいのだ。
人々をハートレスにしてしまおう、というマインドのもくろみは、世界中でうまく行っている。
だが時折、一握りの人々が、マインドの奴隷制度から逃れてくる。
そして、ハートの権利を主張し始めるのだ。
それは、革命である。
マインドに対する、ハートの革命なのである。
そして、ドランヴァロのATIHワークショップでは、その先があります。
ハートへとスピリットを帰還させたあと、ハートがマインドを無条件に愛することで、マインドによろこびが生まれ、自ら進んでハートの召使いの役割を果たすようになる、その具体的な方法を伝えているのです。
この方法を用いると、マインドも協力して、ハートの夢や願いを三次元のリアリティに映し出すことが可能になります。
ですが、この部分は秘伝&口伝となっていますので、ここではナイショです(笑)
ハートの「革命ワーク」であり、アセンションワークであるATIHワークショップが、もしあなたのハートの直感にぴぴぴっと来たら、ぜひATIHワークショップ軽井沢リトリートやATIHワークショップ in 東京のページをのぞいてみて下さい♪
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