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目黒の実家の古い柿の木に今年もたくさん柿がなって、義姉が持ってきてくれました。

最近お店で買う柿は、たいてい種なしか、または種が1個くらいしか入っていない、ということ、ありませんか?
お店で柿を買うたびに、なんだかとても不自然に感じていたのですが、実家の柿は切ってみると、ちゃんといくつも種が入っていました。

確かに種がない方が切りやすいし、食べやすいし。
だったら種をなくしちゃおう。
ちょっと便利に、ちょっと楽に、という願望がどんどん膨らんで、もっともっと便利に、もっともっと楽に。
そんな生き方を私たちは求めてきてしまったのかもしれない。
柿のことから、そんなことを思いました。

もちろん、あらゆる手を使って私たちをそういう傾向へと導き、私たちの思考や嗜好を操作している存在たちがいることは確かでしょう。
けれども、そろそろ私たちは自ら目を覚ます時に来ているのではないでしょうか。

今、私たちの周囲にある食品を見渡してみると、「もっと便利に、もっと楽に」の代償は、とてつもなく大きいことを感じざるを得ません。

私たちの身体にとって必要なものや害のあるものなどについての正しい知識を持つようになると、スーパーやお店の棚にきれいに並べられた食品には、口に入れられるものがほとんどないことがわかってしまいます。

私たちは、コマーシャルに乗って楽しく食べて、それによって自分自身を病気にし、挙げ句の果てには殺してしまっているのかもしれません。
そこまで行けちゃうのは、自分自身の感覚を麻痺させてしまうことを覚えてしまったからなのだと思います。

そろそろ、本来の自分の感覚や感情を取り戻していく時が来たように感じています。

私たちのボディは、この三次元におけるスピリットの大切な乗り物です。
このとてつもなく精巧にできている乗り物は、それに見合った燃料やメンテナンスを必要としています。
食べものは、そしてもちろん飲むものも、肉体だけではなくエネルギーボディにも大きな影響をもたらします。

これからは、不必要なものをどんどん排除し、必要なものを与えてあげなくては。
実家の種あり柿をいただきながら、反省ともども思うのでした。

 

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