月が変わるとともに、今年の桜の季節も過ぎようとしている。

葉もつけていない木々が、ある日いっせいに目醒めたように花を咲かせ、私たちを魅了し、そしてあまりに早く散ってゆく…桜のあり方の潔さ、儚さは、いつも何かを教えてくれる。

 

桜並木を散歩していると、思わず口をついて出るのは、アメリカの古い歌の一節だ。

Merrily, merrily,merrily, merrily, Life is but a dream…
ああ、楽しいな、人生は夢にすぎない

 

私の家の近くの緑道は古い桜並木になっていて、そこには一本とびきり古い桜の木がある。その木は痩せ細り、そっと触れてみると、「もう私は一足先に行くよ」と呟く声が聴こえてきそうだ。
他の木々がいっせいに花を咲かせはじめたとき、案の定その木は花をつけなかった。
その変わりに弱々しい葉を少しつけた。
私はその木の前を通るたびに切ない気持ちになり、「今まで長い間私たちを楽しませてくれてありがとう。」と心の中で呟いていた。

ところが、毎日そこを通るうちに、あることに気がついたのだ。

その痩せ細った古い木の両隣りの木々、それに向かい側の木が、その古い桜の木を取り囲むようにして枝を伸ばしているではないか。特に向かい側の木などは、一本の太い枝をほぼ横に倒すようなかたちでこの古い木に手を差し伸べている。
そのおかげで、周りの木々の花が満開になると、まるでこの古い木も一緒に元気に花を咲かせているように見えるのだ。

そして満開も過ぎた頃、この古い木は、先に出た葉に重ねるようにしていくつかの花をつけた。
「大丈夫。まだまだ私は元気だよ。みんな、ありがとな。」と言っているかのようだ。

このことに気づいたとき、私の心は震え、ある話を思い出した。

グレッグ・ブレーデンが話していたことなのだが、あるとき未熟児の双子の赤ちゃんが生まれた。アメリカでは、双子の未熟児は別々の保育器の中に入れて育てられる。弱かった方の赤ちゃんはますます弱って行き、とうとう命が危うくなった。そこで何らかの経緯を経て、二人の赤ちゃんは再び一緒の保育器に入ることになった。そうしたら、元気な方の赤ちゃんが弱っている赤ちゃんに手を伸ばして抱くようにしたのだ。その後、弱っていた赤ちゃんの心拍数はどんどん上がり、元気になっていった。この姉妹は無事に育ち、現在も元気に暮らしているとのことだ。

ジェニファー・ポサダは言っている。
「私たちは助け合うようにできているのです。」

桜たちよ、優しい夢のようなひとときをありがとう。
また逢いましょう。

 

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